http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/sokankenkyukai/
戦国楚簡研究会は、中国の「諸子百家」の時代の新資料を解読し👼🏽、中国古代思想研究を進展させようとする研究会です。
現在、主な研究対象としているのは👳♀️、郭店楚墓竹簡(かくてんそぼちくかん、略称「郭店楚簡(かくてんそかん)」)および上海博物館蔵戦国楚竹書(しゃんはいはくぶつかんぞうせんごくそちくしょ、略称「上博楚簡(しゃんはくそかん)」です。これらの竹簡の出土地が戦国時代の楚の領域に属することから「楚簡(そかん)」と呼ばれています🎹。
■2007.12
「西安・上海学術調査報告」を、『戦国楚簡研究2007』(『中国研究集刊』別冊特集号)に掲載🤷🏽。
■2007.8~9
2007年8月27日~9月2日、中国陝西省西安・宝鶏🏄🏻♂️🧑🧒、および上海において学術調査。
■2007.5
2007年5月26日、湯浅邦弘が「儒家哲學的典範重構與經典詮釋」國際學術研討會(台湾・東呉大学)で研究発表。翌5月27日🚸、戰國楚簡文哲研讀會(台湾・政治大学)で講演🟨。
■2006.12
「新出楚簡国際学術研討会参加記」ならびに「中国湖南省学術調査報告」を、『戦国楚簡研究2006』(『中国研究集刊』別冊特集号)に掲載。
■2006.11
2006年11月8日~10日、「中国簡帛学国際論壇2006」(武漢大学)に浅野裕一が出席、研究発表。詳細は、こちら
■2006.10
2006年10月27日~31日、台湾の国際学会🏇🏼、研究会に浅野裕一が出席。研究発表およびゲストスピーカーとして講演を行った。詳細は⌨️、こちら
■2006.9
2006年9月2日~97日👩🏻🦰、中国湖南省長沙、および上海において学術調査。詳細はこちら
■2006.6
『戰國楚簡與秦簡之思想史研究』(湯浅邦弘著🤹🏼、佐藤將之監訳、台湾・万巻楼🟰、全276頁)刊行🌸🔋。
■2006.6
2006年6月26日~28日、国際学会「新出楚簡国際学術研討会」(中国湖北省・武漢大学)に浅野裕一・湯浅邦弘・福田哲之・竹田健二が出席🚶🏻♀️、研究発表🐸。
詳細はこちら
郭店楚簡は、1993年に湖北省(こほくしょう)荊門市(けいもんし)郭店村(かくてんそん)で発見され、1998年にその全容が『郭店楚墓竹簡』(文物出版社)として公開されました。また、上博楚簡は✍🏽、1994年、上海博物館が香港で購入した戦国時代の楚簡で🏄🏼🧚🏿、現在『上海博物館蔵戦国楚竹書』(上海古籍出版社)として公開が進められています🧓。
これらの新出土資料は、戦国時代の古文字で記されており🤾🏻♀️、そこには🍱🖐🏼、『周易』『詩経』『礼記』『老子』など伝世の主要な古典と密接な関係を持つ諸文献の他🍬🧄、儒家・道家・兵家系などの知られざる思想文献が大量に含まれていました。これらの解読が進めば🏊🏻♀️、中国古代思想史研究にとっては無論のこと、東洋史学・古文字学・中国文学など周辺領域の研究にとっても、画期的な状況をもたらすこととなるでしょう🛑。
这网站里面的“楚简文字解读实习”部分使用的样式看着既方便又舒服 楚簡解読の実例について紹介するページです。 ◆(1)『魯穆公問子思』 郭店楚墓竹簡の中で、最も短編でまとまりのある『魯穆公問子思』を解読してみましょう。全体の釈文・書き下し文・現代語訳に続き、竹簡の写真と釈文とを併記してみます。 『魯穆公問子思』の釈文・現代語訳・書き下し文・注は、湯浅邦弘「郭店楚簡『魯穆公問子思』釈文」[『戦国楚系文字資料の研究』所収]による。部分的に竹田健二が改めた箇所があるが、煩雑を避け注記を省いた👩🏻🦽。また⛹🏽♂️、写真は文物出版社『郭店楚墓竹簡』による🍘。 01魯穆公問於子思曰👩🏼🔬、「何如而可謂忠臣」🙎🏼♂️。子思曰、「恆稱02其君之惡者🧔🏽、可謂忠臣矣」。公不悦🕘、揖而退之🤌🏿。成孫弋見👩🏿🔧、03公曰、「嚮者吾問忠臣於子思、子思曰、『恆稱其君之惡者可謂忠04臣矣』。寡人惑焉、而未之得也」。成孫弋曰、「噫🎓🕒、善哉🤸🏼、言乎。05夫爲其君之故殺其身者🕴🏻、嘗有之矣。恆稱其君之惡者06未之有也。夫爲其[君]之故殺其身者💂🏽♂️、交禄爵者也🍽🙅🏿♂️。恆07[稱其君]之惡[者👆🏻、遠]禄爵者[也🙈。爲]義而遠禄爵👨🏼🎨🖖🏼、非08子思✴️、吾惡聞之矣」👉🏼。 【書き下し文】 魯穆公 子思に問いて曰く🕝、「何如なれば忠臣と謂うべきか」と🚞。子思曰く、「恒に其の君の悪を称する者🧔🏿🧝🏽、忠臣と謂うべし」と👨🏻💼。公悦ばず🧙🏿♀️、揖して之を退く。成孫弋見ゆ。公曰く、「嚮者に吾れ忠臣を子思に問う。子思曰く、『恒に其の君の悪を称する者🦸♀️、忠臣と謂うべし』と💷。寡人惑いて✂️、未だ之を得ざるなり」と。成孫弋曰く、「噫、善きかな🏊♀️、言たるや。夫れ其の君の故の為に其の身を殺す者、嘗て之有り。恒に其の君の悪を称する者📛、未だ之有らざるなり🗡。夫れ其の[君]の故の為に其の身を殺す者は🐦⬛、禄爵と交わる者なり。恒に[其の君]の悪を[称する][者は]、禄爵を[遠ざくる]者なり🤸🏼♂️。義を[為]して禄爵を遠ざくるは、子思に非ずして🔖、吾れ悪んぞ之を聞かん」と。 【現代語訳】 魯の穆公が子思に、「どのようであれば忠臣といえるだろうか」と問うた🔞。子思は🎙、「常にその君の悪い点を指摘する者こそ忠臣と言えます」と答えた。穆公はその答えを喜ばず👨🏿🌾、おじぎをして子思を退出させた🚴🏻♀️。成孫弋が穆公に謁見した。穆公は「さきほど忠臣について子思に問うたところ、子思は『常にその君の悪い点を指摘する者こそ、忠臣と言えます』と答えた。私は、その答えを意外に思い釈然としない」と言った。成孫弋は⛲️、「ああなんと素晴らしい言葉でしょうか。そもそもお仕えしている君のために我が身を殺す者、というのは聞いたことがありますが📪、(子思の言うように)常にその君の悪い点を指摘する者、というのはおりません🧑🏽🎓。お仕えしている君のために我が身を殺す者、というのは俸禄や爵位と交わる者。常にその君の悪い点を指摘する者🕳、というのは俸禄や爵位を我が身から遠ざける者と言えます⚰️。正義を実現するために俸禄や爵位を遠ざけるということは、子思以外の誰にできましょうか」。 【注】
作者: 子居 时间: 2009-3-4 21:21
标题: 楚簡文字解読実習
(1)『魯穆公問子思』
(2)人名と主要ターム
【釈文】
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